都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

本年はこれでお終いです。

日本にいる我々は今年はもう残り僅かですが、
アフガニスタンイスラムの暦ですので全然年末ではありません。
2008年の正月をアフガニスタンで迎えましたが、何事も通常通りでした。
変にウキウキしているのは日本人くらいのモノです。

我が家もさきほど、弟が帰ってきて賑やかになっております。
弟はクマと違い、行動的な人間です。
ですが、兄と違いジャララバードへ行こうなどと考える人間ではありません。
その点、常識人でもあります。
幼いころより、常識人はクマのはずでした。
小学校に入学早々、校庭にあった背の高い遊具より飛び降り骨折し、全校生徒に使用禁止にさせたのは、
ほかならぬ我が弟であります。それが、成長したらこうなりました。
ですから、お子さんのある親御さんは努々油断してはなりません。
おとなしい子供でも、一之瀬泰造の『地雷を踏んだらサヨウナラ』なぞ読み始めたら明らかに危険信号です。
人間どこで地雷が暴発するやら分りません。
でも、弟にはいつかはちゃんと暴発してほしいモノです。
ところで、身内にはもう一人、過激な奴がいます。
従弟の一人は、来年某外国語大学短大部の2年になります。
その複雑な過去と家庭環境により、見かけより精神的にタフな奴だとクマは信じてます。
もう何年も、某有名団体の活動に関わり、高校時代にインドネシアや中国などへも渡航しています。
短期とはいえ日本とは違うかの地での生活を苦痛ではなく、かなり楽しんだと聞いています。
よく考えれば、クマより先にアフガニスタン人とも交流を持ってます。
今は4年制大学への進学を希望しているようですが、この先の進路が楽しみな奴です。

クマの今年は、ロクなことがありませんでした。
来年は少しはいいことがあることを願っております。
もはや、これ以上状況が悪化するのはよろしくないのです。
でも、願っているだけでは状況は好転しません。
このブログを始めたのは、実は密かに進む野望のためでもあります。
この野望の第1段が来月上旬に発進しますが、結果をここで公表するのかは未定です。
春を過ぎても何の公表もなかったら、どこかで頓挫したものと思ってそっとして下さい。
来年は、第2段、第3段を発進させるべく密かにコツコツと努力したいと思います。
今年はこの記事で終了の予定です。毎回、ご愛読して下さる皆さま、ありがとうございました。
来年もよろしくお願いします。どうぞよいお年を。