今年の1月17日も寒くよく晴れていた。
今年は珍しく新聞記者と話す機会があった。
震災追悼行事の取材に来る記者と話すのは何年ぶりか
私の震災は記者が欲しがる震災ではないから
話してもあまりいいことはないと思うから
あまり話さないのだが
神戸新聞の記者さんは珍しく真面目に取り合ってくれた。
なので、あとで名刺のアドレスにメールしたら
これまた真面目にメールを返してくれた。
若い記者で震災を知らない世代だったが
知らないから書ける記事があるんではないかと思うので応援したい。
来年は震災30年である。
たくさんの人の震災が語られるだろう。
震災は1つじゃない
1月17日に生きてた人の人数分の震災がある。
被災地のど真ん中にいた人
被災地から遠く離れた場所にいた人
被災の距離に関係なく
震災は常に隣にある
被災と距離が遠い人は震災を忘れるだろう。
被災と距離が近すぎた人は忘れたいと思ってるかもしれない。
私は被災に遠くもなく、ど真ん中でもなく
中途半端な距離だった。
私の震災は常に隣にいる
普段は眠っているが
時々起きてくる
よくも悪くも
私を揺らし続ける
あの日私はまだ中学生だった
だから、震災で長年築き上げたものを破壊されたわけではない
震災を考えることは自分の出発点でもある
1月17日は慰霊の日であり、
私にとっては自分を確認する日でもある
1月17日の夕刊と翌日の朝刊は
追悼行事に参加した人の震災が掲載される
追悼行事に参加できない人の震災が掲載されることはない
慰霊碑に故人の名前を刻まない判断をした遺族の震災が掲載されることはない
30年たったら終わりではない
多くの人の震災はまだまだ埋もれていて
1月17日を生きた人がいなくなるまで
震災は終わらないのだ
私はそう思う
私の震災は私のもの