雪の投票日
週末、寒波に見舞われた日に投票所へ向かった。
期日前投票などせず
久しぶりの大雪に見舞われた投票日に投票所へ向かった。


小さな峠を越えて歩いて片道15分ほどなのに
雪に慣れないので、なかなか大変な道のりであった。
これが平成を代表する改革勢力が壊滅した日。
今世紀の初め
私は兵庫9区の明石市で初めて投票した。
兵庫9区は淡路島と明石市で構成される選挙区で
ハラケンの後継候補の自民党西村議員の地盤である。
私は重度の歴史オタクなので政治を知るのは好きだが
政治家は左右、主義主張問わず嫌いだ。
だが、選挙であれば誰かに票を入れねばならない。
投票とは正解がない選択である。
その後の迷走、自社さ連立政権など見て、
さらに人並み以上に歴史に触れていた私は自民党は
抵抗感があったので、消去法で民主党を選んだ。
兵庫9区で民主党と書いても死に票であるが、
自民党を選ぶ気にはなれず
選挙のたびに毎回民主党と書いた。
投票するたびに死に票である。
その後、兵庫9区から兵庫6区に転居する。
私はなんとなく現職がいやだったので新人に票を入れた。
選挙中、街で見かけた姿にも好感が持てた。
それが泉房歩氏である。
彼は当選した。
初めて自分が1票書いた人が当選した。
だが、彼が市長時代にパワハラ騒ぎを起こし、
先年の県知事選挙や参議院選挙での振る舞いを見る限り
彼に1票入れるのではなかったという感しかない。
兵庫6区でも民主党と書いた。
安倍元総理がよく言ってた
「悪夢のような民主党政権」が終わっても
それでも民主党に入れてた。
民主党がなくなった後も立憲と書いていた。
私は政治家でもないし
なんらかの政治運動に携わることもない
ただ1票を入れてきた市民だ。
民主党はやはり最期までなにがしたいのか
はっきり見えなかった。
二大政党制の一翼を担うより
大いなる野党になりたかっただけではないのか?
最期まで政権担当能力を示せなかったのではないか?
私は自民党的なものは大変嫌いなので
これからも自民党とは書かないだろう。
ではどこに…
一昨年、
須磨の水族館が神戸須磨シー・ワールドに変わった時に、
私は市立の水族館が
ただのエンターテイメントを消費するだけの場所に
なったことに衝撃を受けた。
生き物に対する知的好奇心を高める場所、
生き物への教養を深める場所ではなくなっていた。
それも民間企業ではなく市立施設で
建て替えへの反対運動はあっても
それがマジョリティになることはない。
我々が生きている時代は、社会は、
そんな場所なのだ。
いつのまに変わってしまったのだろう。
「いいか、断っとくけどな、
かわいい子供たちの時代のために自民党があるっちゅうことを忘れるな!
お前らのためにだけ自民党があるんじゃないぞ!!」
ハマコーの名言(迷言?)である。
自民党だけじゃなくどこの政党の政治家もこのつもりで
政治家をやって欲しいものだ。
しかし、とにもかくにもやっぱり
私の嫌いな政治家には失望しかないのだ。
ちゃんと仕事してくれ。
春の湿地
我が県の民主主義の死亡ぶりに
あいた口が塞がらぬ日々です。
そんな日々は人間の話で
山の中は関係なく日常が続いてる様子

↑今年もカンムリタケの季節です。
GW前に行かねばならぬのに今年もGWに見に行ってしまいました。

↑今年は雨が少ないせいか
アカガエルの卵塊は昨年より2つ減りたった1つでした。
無事に生き残って欲しいものです。

気になりだしたら目が行くせいかもしれませんが
松の木がにょきにょき育っています。
当地は松枯れが流行る前はマツタケがよく取れるほど
松の木が多かったらしいです。
この小さな湿地も
松など山の木々に呑まれる日がいつか来るでしょう。


こちらの溜め池の水がしみだして湿地になっております。
本来は水田用の溜め池でしょうが、
いまや耕作地は山に森に呑まれています。
この溜め池が元水田の湿地に住む生き物たちの生命線です。
もう少しすればモリアオガエルの卵が見れるはず
明後日の県知事選挙に想う
兵庫県に生まれて40年以上過ぎたが、
かくも醜悪な県知事選挙を見たことがない。
政策ではなく
フェイクを垂れ流して遊んでいる候補者がいる。
そもそもことの発端は斉藤前知事の不始末に他ならない。
かの告発文書を内々で処理できず記者会見の場で
燃料投下したのは斉藤前知事に他ならない。
斉藤前知事は己のために県民を分断し
N国の立花のような三流政治業者の侵入する余地を作った。
私はこれだけで斉藤前知事は知事職に値しないと思ってる。
日曜日は怒りを込めて投票したい。
ネットから情報を取るとは
好きな物語を取捨選択して消費する時代なんだと強く思う。
物語の中身に事実かフェイクかは関係ない。
物語の作り手は誰もが共感しやすいものを提示してくる。
いま斉藤前知事は「1人ぼっちで再スタート」という物語を提供している。
そこに共感が拡がっているのは疑う余地はない。
物語がフェイクだらけでも共感は拡がるのだ。
長い歴史をかけて積み上げられた日本の民主主義は「共感」という化物が壊していくだろう。
私たちはそんな時代を生きているのだ。









