2010-01-01から1ヶ月間の記事一覧
神戸には、神戸モスクと呼ばれるモスクがある。 それが上の写真だ。 ジャララバードの事務所のモスクとは比べ物にはならんほど立派な建物だ。 だから、写真に電線が写り込んでいるのが惜しい。 1935年の建設。 空襲と震災を乗り越えたモスク。 そう言え…
黄色い箱と一緒にという題で、5回も使ってしまった。 一昨年の話なのに、かなり鮮明にやり取りは憶えていたし、直後に弟宛てのメールでも書いていたので、 こうして文章として再現できた。 毎回、30分から50分ほどで文を書いてアップしている。 アップ…
何気にこのネタで五回も継続している。 ちょっとくどいですね。 書きだすと止まらないんですよ。 反省。 イスラマバード空港に出発用の入り口に入ると、すぐに荷物検査の場所がある。 係官が目視とエックス線検査機でのチェックしていく。 当然、二か所とも…
イスラマバード空港の入口にある売店で売ってたペプシはえらく高かった。 ジャララバードなら、大きいペットボトルが買えそうな値段で缶のペプシを購入した。 ボラレタのか、大都会イスラマバードの物価が高いせいのなのかよく知らない。 ともかく入国審査は…
上の写真は、イスラマバード行きの飛行機の搭乗が、今まさに開始されようとしているところである。 階段の上で数人の関係者が集まっているのが見えると思う。 何をしているのか? 手荷物検査の準備だったのだ。 このギリギリの水際でさえも、手荷物検査。 明…
日本人がカイバル峠を通行できなくなってから、ジャララバードから日本へ行くルートは、 ジャララバード~カブール~イスラマバードorドバイが主流となった。 とにかくカブールへ行かねばならないのだ。 ジャララバードからドロンタのダムの側を通り、隣の州…
早いモノで考古学徒を始めた頃から、今年で10年になってしまう。 もう考古学徒のラインから大きく外れてしまったが、 ほとんどの考古学徒と同様に、大学の夏・冬・春の休みはほとんど発掘現場にいた。 初めて現場に行った時、用語もわからず困ったものであ…
今日で15年経った。 5年前の10年目の時は、知り合いに誘われて須磨の鷹取から中央区の東遊園地まで歩くという イベントに参加した。(半日以上歩く距離) いまでも、震災モニュメントウォークとかやってるんだろうか。 いろんな団体が10年という節目で…
少しだけ揺れたのがわかった。 震度2程度。 震災以来、膨大な余震のおかげで地震慣れしているので、震度も体感でなんとなくわかる。 たしかに、震度2くらいの揺れだった。 揺れ出して、揺れが収まるまでに、みんな事務所から逃げ出した。 この建物、そんな…
関西電力のCMで、震災をテーマにしたモノがあります。 アンジェラ・アキの「15歳の君へ」を上手く使ったCMです。 http://www.youtube.com/watch?v=gzZt2zrJXug 仕方ないとはいえ、いまや高校生ぐらいまでの人には震災の話は通じないんですよね~ 案外…
15年前の1月から始まった震災報道一色だったテレビ放送が、 通常体制に戻ったのはいつだっただろう? 全然はっきりと憶えていない。 この時、テレビは被災地の惨状を伝えるのと同時に、ライフラインの寸断、避難所など、 非日常な状況を映し、ボランティ…
フォトジャーナリスト森住卓氏のフォトブログにて、アフガン取材の様子が掲載されいてます。 カブール、ジャララバード、カンダハールと取材を続けられているようです。 森住氏がどんな方なのか存じませんが、その仕事に平伏する思いです。 ジャララバード近…
新聞紙を埋め尽くす人名。 震災直後の新聞は、公表された死亡者一覧が埋め尽くした。 ほんの数年前まで、机を並べた友人たちが載ってないことに安堵する日が続いた。 ボランティアという言葉が、世間的に認知されたのは、震災がきっかけらしい。 今も少し後…
中学一年の三学期というのは、小学生気分からようやく中学生らしくもなり、 最初の一年間の終わりが見え、やれやれと思っている頃だったのだろうか? もうよくは憶えていない。なにぶん、15年も前のことだ。 どうでもいい日常に、ウンザリだったかもしれな…
事務所に鉄筋を納品しに来た業者の男は、延々と中国について話していた。 「中国はすごい」 「中国の人はイイ人ばかり」 明らかに、クマの顔を見て中国人だと誤解しているようだった。 せっかくなので、全部聞いてあげてから「ここ日本のNGO」と教えて差…
明けましておめでとうございます。 昨年の秋に始まったばかりの当ブログ。 本年もよろしくお願います。 ですが、少々困った事態が年の瀬に発生しました。 年末も際の際になって、想定外の事が起こり、 今月からマメにブログを書くことができなくなりました。…