都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

15年前の非日常

29年目の非日常

今年の1月17日も寒くよく晴れていた。 今年は珍しく新聞記者と話す機会があった。 震災追悼行事の取材に来る記者と話すのは何年ぶりか 私の震災は記者が欲しがる震災ではないから 話してもあまりいいことはないと思うから あまり話さないのだが 神戸新聞…

震災があった跡

震災15年目の年に撮った写真 表札と呼び鈴をつける柱だけを残した空き地 もうこんな風景はなかなか見つからない 15年目の年でもよくまだ空き地だったと 思わず撮ったんだろう これも震災遺構だったと思う

震災28年目

1月17日 28年目の朝です 平和な朝です 写真は今朝の西宮市ニテコ池

20年目の非日常

書くといいつつ.、年単位で放置・・・ やはり、子ども二人できると、ブログまで手が回りません。 長男2歳、長女8ヶ月。 二人とも赤ちゃん街道を爆走中です。 障害児支援の仕事をしつつ、夏には関西きんじょすくいの会の保養キャンプ。 よくよく続けられてい…

今年の1.17雑感

今年も1.17がやってきました。 17年目です。 今年の1.17は今までとは違いました。 3.11とセットで語られる1.17は初めてのこと。 これからもそうなるでしょうね。 実はあまり納得いってなかったりもしますが。 だって、津波も原発事故もなか…

そろっと再開。

先日、神戸で昭和な香りがプンプンする喫茶店に入る事がありました。 狭い店内。 店内の会話は全部丸聞こえです。 なんとはなしに耳に入ってきた声の主は腰の曲がったお婆さんでした。 会話に曰く、 「震災の時に、家が潰れて、避難所からポーアイ(ポートア…

16年目

今日で震災から16年目となりました。 1月17日は大切な日です。 そして、これ以上、こういう日が増えない事を祈る日。

15年前の非日常⑦

上の写真は先日、阪急西宮北口駅に近い場所で撮った一枚。 おそらく震災で更地になった土地であると思う。 コンクリートの門柱だけが残った空き地。 うちの身内の家も、全く同じような空き地だった。 震災から10年の年、このような空き地はまだまだ残って…

15年前の非日常⑥

西宮震災記念碑公園。 阪神間を、いや関西を代表する高級住宅街の中にある。 市内では震災のはるか前より、浄水場や満池谷の墓地の傍にある桜の名所として知られている場所。 記念碑には市内で震災で亡くなった人の名前が刻まれている。 うちの身内の名前も…

15年前の非日常⑤

今日で15年経った。 5年前の10年目の時は、知り合いに誘われて須磨の鷹取から中央区の東遊園地まで歩くという イベントに参加した。(半日以上歩く距離) いまでも、震災モニュメントウォークとかやってるんだろうか。 いろんな団体が10年という節目で…

15年前の非日常④

関西電力のCMで、震災をテーマにしたモノがあります。 アンジェラ・アキの「15歳の君へ」を上手く使ったCMです。 http://www.youtube.com/watch?v=gzZt2zrJXug 仕方ないとはいえ、いまや高校生ぐらいまでの人には震災の話は通じないんですよね~ 案外…

15年前の非日常③

15年前の1月から始まった震災報道一色だったテレビ放送が、 通常体制に戻ったのはいつだっただろう? 全然はっきりと憶えていない。 この時、テレビは被災地の惨状を伝えるのと同時に、ライフラインの寸断、避難所など、 非日常な状況を映し、ボランティ…

15年前の非日常②

新聞紙を埋め尽くす人名。 震災直後の新聞は、公表された死亡者一覧が埋め尽くした。 ほんの数年前まで、机を並べた友人たちが載ってないことに安堵する日が続いた。 ボランティアという言葉が、世間的に認知されたのは、震災がきっかけらしい。 今も少し後…

15年前の非日常①

中学一年の三学期というのは、小学生気分からようやく中学生らしくもなり、 最初の一年間の終わりが見え、やれやれと思っている頃だったのだろうか? もうよくは憶えていない。なにぶん、15年も前のことだ。 どうでもいい日常に、ウンザリだったかもしれな…