書くといいつつ.、年単位で放置・・・
やはり、子ども二人できると、ブログまで手が回りません。
長男2歳、長女8ヶ月。
二人とも赤ちゃん街道を爆走中です。
障害児支援の仕事をしつつ、夏には関西きんじょすくいの会の保養キャンプ。
よくよく続けられているものだと思います。
あーでも、来月で長男産まれてから2度目の転職か・・・
やっぱし、続いてないです。
上司の方針に「オマエのやり方についてけねー」
と率直に行動で示すのはよくないですね。
さて、この週末で阪神淡路大震災から20年ですね。
20年前はこんな生活、想像してなかったです。
1・17を上回る災害もあるとは思いませんでした。
5年前に「15年前の非日常」という記事を書いてましたが、
5年ぶりに自分の書いた文を読み返してみて、
5年前の自分は震災の近くにいながら「傍観者」だったと、
15年前の自分を評価しているようです。
今年の自分は、20年間を思い返すと、
「傍観者」だった20年前の自分を許せないでいるんだと思ってます。
常に、至近にあった震災に、後ろめたさと罪悪感を持っている。
先日、震災15年で製作された「その街のこども」を泣いて見ながら、
そういう、無視すればええのに、抱えてしまった気持ちとずっと付き合っていこう思った次第。
このドラマ、15年目の神戸で森山未来と佐藤江梨子が、夜の神戸の街を延々歩き続ける。
暗闇の中で、二人の震災で失ったものを語りだすという話。
人それぞれ泣くところはあるやろうけど、
私は、物語の最後、目的地の東遊園地に着いた時、森山未来が入るのを躊躇い、
その判断を受け入れた佐藤江梨子の演技に、ひどく泣いてしまいました。
1・17の東遊園地に入るのは、私も怖い。「傍観者」としてはほんま怖い。
森山未来の演じた役は、また別の理由で東遊園地に入れなかったと思うんだけど、
あそこで「さよなら」した演技、脚本はほんますごい。
5年前にNHKで放送された時は、怖くて一人では少ししか見れなかった作品。
家族のいたおかげで最後まで見ることができました。