都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

15年前の非日常③

15年前の1月から始まった震災報道一色だったテレビ放送が、
通常体制に戻ったのはいつだっただろう?
全然はっきりと憶えていない。
この時、テレビは被災地の惨状を伝えるのと同時に、ライフラインの寸断、避難所など、
非日常な状況を映し、ボランティアを含め、「助け合い」とか「共生」とか、
ありきたりな言葉でしか表現できないけど、悲しみだけでなく温かい映像も伝えたはずだと思うし、
そうであるからこそ、ボランティア元年などとも呼ばれるようになった訳だ。

この年の3月から当分の間、この国のテレビは全く別のベクトルの報道に染まっていく。
地下鉄サリン事件以降、かの教団に対する報道は憎悪、嫌悪、軽蔑を剥き出しにしたものだった。
誰もそれを疑うことはない。
それが当然だった。
もちろん、僕もそう思った。
でも、あまり気分は良くなかった。
漠然とした疑問があった。
ドキュメンタリー映画「A」は、15年前に漠然と感じた疑問に答えをくれたような気がする。
ああいう色に染まった報道の中で、あちら側の視点からカメラを持っている人がいたことにかなり驚いた。
カメラを持つ視点が変わるだけで、番組内容は全然変わる。
僕らはテレビを含めて、報道と言うモノには気をつけて接しなければいけない。
何かの色に一色で染まった報道に接したとき、社会はかなりいろんな意味で危険状態なのかもしれない。