都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

15年前の非日常⑤

今日で15年経った。
5年前の10年目の時は、知り合いに誘われて須磨の鷹取から中央区の東遊園地まで歩くという
イベントに参加した。(半日以上歩く距離)
いまでも、震災モニュメントウォークとかやってるんだろうか。
いろんな団体が10年という節目で、震災関連イベントを終了させるというような話をその時に聞いた。
時間は過ぎゆくものなのだ。
その知り合いとは長くボツ交渉になっていたが、さきほど東遊園地でのつどいの会場で再会して来た。
時間は経っても、人間はそうそう変わらないモノだ。
相変わらずの豪放磊落な調子が嬉しかった。

10年と15年。
明らかに震災を知らない人が増えてきたことを実感している。
電車の中で、センター試験帰りらしい女子高生の一団が「今日って震災の日なんやろ」なんて
大きな声で騒いでいるのを聞くとつくづくそう思う。
マジで被災した人は、地震のことなど触れたくもないだろう。
僕も日ごろから震災の話題は避ける。
いろんな人が1月17日で微妙な問題を抱えているだろうから、そう簡単に触れる事が出来る話ではない。
でも、震災の記憶がほとんどない高校生は気軽に地震を話題にできるのだ。
無知であるからこそ、可能なことだ。
その無知は悪くない。
ダイレクトに知ってる人は語ろうとはしない。
触れようとはしない。
でも、それでは後に伝わらない。
観光名所になってる震源の野島断層だってわざわざ保存していることを不快に思う人はいると思うし、
実際、地元ではそんな保存反対の話があったと聞いたことがある。
かくいう僕も保存は不快だ。
人と防災未来センターで震災直後の様子を再現しているのも不快だ。
見せモンじゃないんだぞ。
でも、やっぱりそれでは後に伝わらないのだ。
伝えるためには、あの日の記憶にアクセスしなければならない。
それはつらい作業だ。
でも時間がたてば、それも可能になる人が出て来ると思う。
生きている僕らの時間が経つの仕方のないことだ。
時間が止まっているのは死者のみだ。
これからも、震災を知らない人が増える続ける。
彼らは無知だが、気軽に震災を話題にできる。
その時、確実に伝えていくことが重要なんだろう。
中途半端な距離で震災と接し続けるクマはそう思う。
無知であることを、不快に思うのは経験者の傲慢なのかもしれない。
でも、不快だし不安であることは、経験者としては止められないモノでもあるのだ。