都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

そろっと再開。

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先日、神戸で昭和な香りがプンプンする喫茶店に入る事がありました。
狭い店内。
店内の会話は全部丸聞こえです。
なんとはなしに耳に入ってきた声の主は腰の曲がったお婆さんでした。
会話に曰く、
「震災の時に、家が潰れて、避難所からポーアイポートアイランド)の仮設に移ったけど、
埋立地だから)風が強くて部屋に吹き込む隙間風で寒い寒い。それに、仮設に移ったかて、
誰も知らん人ばっかしで、知らんうちに変な噂流されたり人間関係が辛かった。
仮設を出ていまはようやくどこそこへに住んでるけど・・・・・」
とまあこんな感じ。
改めて神戸周辺、阪神間の街並みにはこんな話が
そこかしこにゴロゴロ転がっているんだろうなと思った次第。
来月で震災から17年で、いまや震災の痕跡を探すのが難しい街並みですが、
それぞれ人の心の中には残っているもので、
復興はしたけれど元に戻ったわけでなく、
1.17以前の光景はどこにもないわけです。
災害とか事故とか事件とかって
当事者をいつまでもそこに釘付けにしていきます。
外野の人の時間は平常どおりに進んでいくのに。
とある援助職の方々やみちのくの人が神戸に結集した前日に入った喫茶店の光景を思い出すと、
こんなふうに思うのです。
しかし、神戸に馴染みのないであろう東北の人がせっかく来はったというのに、
こっちの震災の話をせんかったのは兵庫県人失格やね。

(写真は西宮市内某所にある震災モニュメントより)