都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

15年前の非日常②

新聞紙を埋め尽くす人名。
震災直後の新聞は、公表された死亡者一覧が埋め尽くした。
ほんの数年前まで、机を並べた友人たちが載ってないことに安堵する日が続いた。

ボランティアという言葉が、世間的に認知されたのは、震災がきっかけらしい。
今も少し後悔していることがある。
なんで15年前にボランティアに行かなかったのだろうと。
どうでもいい学校なんぞ、放っといて良かったのではないだろうか?
それはそれで正しいボランティアの参加の仕方ではないような気もするが、
被災地は全く知らない土地ではなかったのだから、
ただの中一の三学期で過ごしてしまったのが悔いなのかもしれない。
今さらの話だ。あの頃は、そいう発想もなかった。
地震の次の日から、風邪ひいて寝込んでた奴は誰だよ。
倒壊した家屋の前で起こる叫びをテレビが伝え続ける。
横倒しになった高速道路、倒れたビル。火災、地崩れ
不条理の塊が画面の中にあった。
これはいったいどこの国のことなんだろう。

更地のままだった土地は、2000年頃はまだまだ多かった。
復興事業やその後のマンション建設ブームなども相まって、今の阪神間の街並みはとてもきれいなモノだ。
古い建物は軒並み姿を消した。
昭和の色がした北口の市場など消えてなくなった。
地震のおかげで街並み全部が新しくなった。ヒドイ理由だ。
昔の街並みで記憶が止まっている人間には、もうかの地は別の街に思える。