都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

黄色い箱と一緒に②カブール空港の開戦

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日本人がカイバル峠を通行できなくなってから、ジャララバードから日本へ行くルートは、
ジャララバード~カブール~イスラマバードorドバイが主流となった。
とにかくカブールへ行かねばならないのだ。
ジャララバードからドロンタのダムの側を通り、隣の州ラグマーンへ。
カブール河に沿って深い谷の道を通り、カブールへ至る。
長い道のりにして、テロ多発都市であるカブールへ行くのだから、不安がなかった訳ではない。
案の定、ラグマーンではあからさまに私設な検問に出くわした。
棍棒を持った男が車を停める。
パスポートを見せろと言われ、彼に見せる。
彼はアフガンの入国スタンプを指差して「日付が切れてる」と主張する。
なんの日付だよ。意味不明だぞ。
「バカ野郎。それは入国スタンプだろうが、きちんとこのビザを見やがれ」
日本語とパシュトゥー語を混ぜ込んでの会話で、一気に強気に出た。
相手が一人だけで、銃を持ってなかったのは幸いだった。
よくよく何事もなくパスポートを返してくれたものである。
もちろんこの時、黄色い箱は何の問題にもなっていない。

カブール空港は、ジャララバード寄りの街はずれにある。
街はずれでも、ジーンズなど洋装のアフガン人の多さに驚いた。都会なのだ。首都なのだ
黄色い箱を持った僕は同行してくれたドライバーとチョキダールに別れを告げて空港へ入る。
空港ビルに入るまでに、三回か二回くらい持ち物検査がある。
先客の中国人らしい人は、荷物を上を下へ引っ繰り返されて検査されている。
アッサラーム・ワーレコム」とアフガン人の検査官に挨拶して、日本のパスポートを見せる。
「なんだ日本人か。行っていいよ」
「へ?イイの」
「日本人は友人じゃないか」
中国人からの視線が痛かったのは言うまでもない。
ダリー語会話が多いカブールだが、下手くそなパシュトゥー語が全く通じない訳ではない。
それも好印象を与えるのかもしれない。
すべての手荷物検査は、日本のパスポートを提示した瞬間に終了する。
ホントにこれでいいのか?アフガン警察よ。黄色い箱は全く問題にならなかった。
だから、空港ビルへ入っても、完全に油断し安心していたのだ。
「なんだその箱は」
「レベルマシーンですけど」
「箱を開けろ」
戦いは、パキスタン航空のカウンターより始まった。
チケットは何の問題もない。問題にされたのは、肩に下げた黄色い箱である。
レベルが入っているので、手荷物で機内に持ち込むつもりだった。
故障して日本で修理予定とはいえ、精密機器なので乱暴に扱われると困るからである。
うっかり盗難でもされれば、目も当てられない。
言われた通りに箱を開ける。
どうだ。別に爆弾でも何でもないだろう。文句あるか。
だが、カウンターの社員さんの顔は硬直していた。
「なんなんだ、これは。いったい何に使うんだ?」
「え?測量・・・surveyに使うんですけど・・・」
なんで、そんなに驚く。あんた工事現場とかで見たことないのか?
航空会社の社員なら、それなり以上の学歴のある人なんだろう?
だが、社員さんはどうやらレベルマシーンを知らないらしい。
まさか、持ち込めないとか言うんじゃないだろうな。
しばし問答を繰り広げると、後ろからスーツ姿の洋装のアフガン人がやってきて社員さんと何事か話す。
「行っていいよ」
このアフガン人は何者だろう?
洋装のアフガン人に礼を言う。
パスポートに出国スタンプを押され、搭乗開始を待つ。
出国審査は、何事もなく通過した。黄色い箱について問われることはなかった。
この期に及んで、手荷物が問題になるとは夢にも思っていない。
だが、カブール空港での戦いはまだ終わってはいなかった。

(写真は、上がラグマーンにて車上で撮影。私設検問はこんな風景のなかにあった。
 下はカブール、ドイツ軍部隊を見る洋服と現地服のアフガン人。いずれも08年6月撮影)