都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

宇宙のどこかに勝手な期待

かの有名なホーキング博士は、宇宙人との接触は危険であると語ったそうです。
でも、博士の指摘はすでに手遅れじゃない?
70年代に打ち上げられた無人探査機ボイジャー1号、2号、パイオニア10号には、
人類や地球の情報が書かれた金属板を搭載していたので、宇宙人に探査機を拾われたらどうするのでしょう。
もし、金属板を頼りに地球まで侵略しにきたら、NASAはどう責任をとるんじゃ。
と、ツッコミたくなります。
 
宇宙人はいるのか?
と、問われれば、いる方に賛成したいクマです。
別に、地球に来てるかは別として、宇宙のどこかに生息していて欲しいモノです。
ですが、ホーキング博士が言うような侵略なんて人類的発想な宇宙人だったら、失望もいいところです。
広い宇宙のどこかで、人類とは違う進化を遂げたはずの生命が、人類と同じような国家や政府、宗教、
思想、思考の虜囚だなんて、考えただけでもウンザリです。
また、SFや特撮にでてきそうな、姿かたちの宇宙人でも、ショックです。
すでに、地球人が空想で描いたような、プロポーションの持ち主だったら、いない方がいいです。
あげく、異なる惑星で進化した生命体どうしで、友情だの恋愛だの、
そんな人類的なモノが成立する程度の違いしかない宇宙人でも失望です。
多様な進化を遂げてこその生命じゃないですか。ありあまるスペースを誇る宇宙の広さは、なんのためよ。
ですので、せっかくのファーストコンタクトが、バルタン星人とか、ガミラス帝国とか、ゼントラーディとか、
惑星連邦だったりした日には、国連の入り口にでも面会謝絶の札を掲げ欲しいです。
どうせ、いるなら、人類が感知できない、人類が持つ既存の概念では説明できない、
生命という言葉の定義が破綻しそうな、そんな存在であって欲しいモノです。
話す言語が違うとかではなく、会話という概念・定義の説明から始まるような、
ファーストコンタクトであって欲しい。
と、まあ、恐れ多くも、天下に名高いスティーヴン・ホーキング博士のご意見にケチをつけてみました。