都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

パシュトゥンの偉人

 
いきなりカルザイ大統領が現地語で演説していて
「なんだこれは?」とか「なんだこの不愉快な動画は」など思われましたら、
3分14秒ほど早送りしていただきまして、ひとまず心を和ませてください。
この動画の題名は「Asfandyarwali visit to jalalabad......7 of 7」
キャプションには 
「A DELEGATION OF ANP VISITED JALALABAD FOR BABA KALEEZA AND SOME OTHER ISSUES」
とだけ。
どうやらジャララバード市内で行われた何かの式典のようです。
何の式典なのか?
英文のキャプションにはANPの代表団とあります。
Afghanistan National Policeの略だと思っていたので、いまいちよくわからない式典でしたが、
アワミ国民党(Awami Natinal Party)の略と解釈すると、辻褄が合ってきます。
アワミ国民党とはパキスタン北西辺境州のパシュトゥーン人による地域政党です。
動画の題名にあるAsfandyarwaliという人物は、このアワミ国民党の党首です。
動画の冒頭で、カルザイ大統領が「バチャハーン」と言っているのが聞き取れるでしょうか。
Asfandyarwali氏の祖父に当たる人物です。
通称「バチャハーン」、本名カーン・アブドゥル・ガッファル・カーン。
カタカナで検索しても、ほとんどヒットしないところからして、日本では無名と思われますが、
辺境のガンディーとも呼ばれた人物で、パシュトゥンの人たちにとってはきっと偉人。
1890年ペシャワール近郊に生まれ、
植民地時代はガンディーのインド国民会議派を支持し、
赤シャツ隊を組織し非暴力・不服従の闘争を続け、
パキスタン建国後は、パシュトゥン人独立国家を目指して闘争を続け、
たびたび監獄に入り、1988年にペシャワールで自宅軟禁中に死亡。
パキスタンには絶対に葬るな」という遺言で、ジャララバードに埋葬されました。
内戦中にもかかわらず、彼の葬列のために停戦したというエピソードは
ちくま文庫の「アフガニスタンからの診療所から」にも少しだけ登場します。
彼の墓所と思しき映像はこの動画の3分25秒あたりで出てくる。
最初の動画とは一連のシリーズですので、これはつまり孫が御祖父さんの墓参りに来たということのようです。
さすがにたいそうな式典です。
大統領から州知事など、要人中の要人も集まったこの式典。
you tubeはエライものでその偉人と思しき人の動画まであります。
亡くなられてからすでに22年も経ちますが、いまも支持者はいるようです。
 
英字版ウィキペディアでの解説