都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

摂津路 そこは桜井の別れ

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土木工事系医療NGOのペシャワール会の現地報告写真展が2月21日まで開催中な大阪府島本町
この町の町章は菊水紋です。
みちのくO工機さんの社章もなぜか菊水紋でしたが、菊水紋といえば楠木正成の家紋として有名。
写真展会場の島本町ふれあいセンターの最寄り駅JR島本駅のすぐ横にはこんなものが。
太平記の名場面、湊川の戦いへ赴く楠木正成が息子正行と最期に分かれた場所。
それがこの桜井駅跡です。
(駅というのは電車の駅という意味じゃなく、律令制度下の時代に街道沿いに置かれた施設のことです)
桜井の別れの話。
戦前世代の方々は常識な話でしょうが、若い世代にはマイナー過ぎる話。
「滅私奉公」なんて言葉も、若い世代にはウケが悪いかもしれません。
さて、写真では見えにくいですが「滅私奉公」字の横には揮毫した人の名前があるのです。
なんと首相にもなった近衛文麿の名前が!
さらにこの敷地内にはこんなものが。
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楠公父子訣別之所」とあり、横に陸軍大将乃木希典の筆と!!
わーもうなんだかエライ名前が出てきました。
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さらにこちらはあの東郷平八郎元帥の筆による
明治天皇御製「子わかれの 松のしづくに 袖ぬれて 昔をしのぶ さくらゐのさと」の石碑だとか。
他にも大隈重信とか、イギリス公使パークスとかの石碑があるのですが、もうお腹いっぱいです。
目まいがするほど凄すぎます。
明らかにある時代までは、郷土の自慢に使える場所だった感じです。
きっと周辺の尋常小学校とか国民学校では遠足の定番コースだったことでしょう。
いまはどうなんでしょうか。
今どきの子供に七生報国とか説いても理解されないような気がします。
しかし、ちょっとした公園ほどの敷地は誰かに清掃されているようでとてもきれい。
世間的には忘れ去られそうな話でも地元の人には今も郷土の誇りの場所のようです。