都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

もう一回、戦争する?

この間から放送されている「坂の上の雲」を見て、気付いたのことは、
この国の子供たちは、かつて「戦争ごっこ」をやっていたということだ。
いまどき、こん棒でも持って戦争ごっこをやってる子供なんていない。
僕にもそんな記憶は全くない。
戦争が身近にあって、それが是とされている社会だから、戦争ごっこは存在したのだろうと思う。
戦争ごっこウルトラマン仮面ライダー、戦隊モノなど特撮ヒーロー、ロボットアニメを
真似た遊びにすり替わった。この手の子供向け番組の世界は良くできている。
悪の組織が、なんらかの侵略、犯罪、破壊をすることで、ヒーロー達はやってくる。
話の作り手は、おそらくこの図式がいちばん創りやすのかもしれないが、
要するに基本的には「専守防衛」なのだ。戦後日本の軍事思想をよく体現したお話になっている。
子供向けの特撮ヒーローたちの姿を見て、幼い子供は「侵略=悪」を刷り込まれていると思うし、
戦争はよくないという教育にもなっていると思う。
たとえテレビゲームの中で戦争をやっていたとしても、
実際に朝鮮や大陸を侵略してOKなんて思う人は、絶対的に少数だと思うし、
それはこの国の空気が戦争を容認していない証のはずだ。

季節がら、NHKでいくつか太平洋戦争がらみの番組をやっていた。
番組内で半藤一利氏など戦争世代の方々が口をそろえるのは、
戦争を知っている世代がいなくなることへの憂慮だった。
おじいさんやおばあさんが戦争経験者という世代も、
僕らの世代でほとんど終わりになるのだろう。
その僕らの世代とて、年輩の方から戦争経験を聞くことなど多い訳ではない。
中学の頃、書道担当の先生はとっくに定年を過ぎた講師の方で、
授業の終わりには必ず兵隊に行った経験を話すという珍しい方だった。
あの先生は長年の教師経験から、笑い話も交えての上手に戦争経験を話してくれたが、
みながみな、あそこまで口達者とはいかないのだ。
僕の祖父は、戦争経験を話すことなどほとんどなかった。
父方の祖父は話すことなく亡くなった。
母方の祖父は、亡くなる前に病院のベッドの上でいくつか漏らしたが、
孫に話すような話ではないと思っていたのかもしれない。
要するに、そういう話だった。かなり悔いていたようだった。

でも、これら聞いた話を後の世代に語り継ぐなんて、僕らはするだろうか。
いや、かなり難しい。なにせ、人から聞いた話になる訳だからだ。
かなり近い将来、「あの戦争」は歴史年表と小説など創作の世界だけのモノとなる。
でも、それは仕方のないことだ。記憶は風化するモノだ。
それを回避することは不可能だ。
では「あの戦争」が風化すると、この国が再び戦争へ向かうだろうか。
年長者からのそういう意見を耳にするたびに、それは違うだろうという違和感を覚えるのだ。
昨今、右傾化しているとはいえ、この国の人が一致団結して戦争へ向かう姿は想像できない。
たとえ「あの戦争」の解釈を変えたとしても、次の戦争に直結するわけでもないし、
北朝鮮や中国にしても、かの国々を脅威とする前提条件が必要な訳で、脅威でなければ問題ない訳だ。
正直言って、この国を右傾化させる人たちの言い分は、かなり脆いと思う。
だいたい、投票所にさえ行かない人が半分以上いる国だ。戦場へ行く人がどれだけいるだろうか。
老人たちが心配しなくても、この国が「あの戦争」を再現することは多分ない。