都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

最近のアフガン報道から③遥かなる完工式

http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010020801000673.html

ついに完工式に達したらしい。
全体からみれば一年半という、ほんのちょっとの期間だけ関わらしてもらった者でも嬉しい限りだ。
先日、事務局から回って来た現地報告には水路だけでなく、マドラサのモスクの画像もあった。
2年前の今頃は、何もない更地に区画用のレンガ壁を作っていた頃からは、
想像もできないほど立派なモスクだ。
神戸モスクに負けてない(いや、それは褒めすぎか?)
でも、おなじ報告の中には餓死者、凍死者、砂漠化の文字も並ぶ。
状況がよくなっているとはとても言えない。
ラグマーンから砂漠越えで日雇い作業員を志願してくるって、尋常じゃない。

上の共同通信の記事には、あのグルアガ・シェルザイ州知事の姿がある。
なんだか人相が違うと思ったら、あごひげを剃っている。
一度しか会ったことはないけど、写真のようなパフォーマンスはやりそうな人だ。
でも、アフガン人だったら、誰でもあれくらいのパフォーマンスはするか。
いろいろ評判のある州知事だが、それも含めて根っからのアフガン人なんだろうな。
2007年春の一期工事完了の式典には来なかったけど、今回は来て頂けたようだ。
彼は結局、入閣できたんだろうか。
なんの報道もない。

記事の頭には「シェワ共同」って書いてある。
シェワじゃなくて僕らはシェイワって呼んでたと思うけど、馴染み深い現場の地名だ。
シェイワのバザールまで来たら、現場に着いたも同然だった。
現場まで日本人記者が行ったのだろうか?
それは、あの時に事務所までやって来たE記者だろうか?
もしそうだとすれば、個人的にはちょっと嬉しい。