都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

ドバイ空港の片隅で②日本人の孤独を想う

サミュエル・ハンチントン教授の「文明の衝突」が流行ったのは、いつのことでしたっけ?
高校生の頃、図書館で借りて読んで、意味不明なまま返却した憶えがあるから10数年前くらいか?
かの本は、これからはイデオロギーなんかじゃなくて、文明の違いが重要になってくるとして、
世界を中国、インド、イスラム、西欧、東方正教会ラテンアメリカ、日本という具合に、
世界を文明に区分けしておりました。
なんかそういう区分けした世界地図が載ってた憶えがありますが、
バカみたいに広い地球の上で、日本だけ独立した文明だと区分けされてしまっていたワケです。
あの頃、そのように分類されたことを喜んでいるような話も聞いたような記憶もありますが、
冷静に考えれば、日本だけただ一人、孤独に世界史のなかで生きてきたワケで、
それはこれからもずっと継続していくんだということです。
グローバルがどうしたとかいうこのご時世でも。
白人だろうが、黒人だろうが、彼らはいくつかの共通の言語を使い、宗教も共有します。
この世界で渡り合っていく条件は、日本人よりはるかに良いのです。
それは中東や中央アジアでもそうで、イスラムであったり、ペルシャ語だったり、アラビア語だったり、
共有するモノを生まれながらに持っています。
ドバイで商売するには、ライセンスが必要だそうですが、
ムスリムの方は非ムスリムより簡単にライセンスがとれるそうです。
これも国は違うけど、共有する宗教のおかげです。
んじゃ、日本人はどうよ?
宗教は神道だったり、仏教だったり、はたまた新興宗教だったり、
言語は世界でこの列島でしか使われない。
この国の外側で通じる共有アイテムを何一つ持ってない。
海外で群れちゃうのも、致し方なしというところなのでしょうか。
インドや中国だってそうじゃないかと思いますが、それをカバーするだけの人口と華僑のような、
移民のネットワークを海外に持っています。
日本人には、それすらない。
明治の開国以来、唐行きさんから南米移民に到るまで、外に出た人と本土の間に、
ビジネスや人材やらの交流が希薄だったのではないでしょうか?
いまでこそ、海外から労働者を受け入れる立場にある国ですが、このさきもその状態が続くでしょうか?
いつの日か、国が傾き、海外へ労働者の受け入れ先を求めなきゃならなくなったとき、
どうやって受け入れてもらえるでしょうか。
どこの国とも、言葉も宗教も違いますね。
英語を第2公用語にでもしますか?
それだと、いろんな変な火種に火がつきそうです。
それより、モスクがヨーロッパにあるんだったら、神社がヨーロッパにあってもおかしくないと思うのです。
日本人が孤独から脱するには、そうして日本的なモノを輸出し定着させていくしかないと思うのです。
すでにサブカルチャーなモノがどんどん受け入れられているのですから、
環境は黄禍論が唱えられた過去の時代より、良くなっているのではないでしょうか。