都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

ドバイ空港の片隅で④日本人の寛容と受容

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思いつきをそのまま書くという悪い癖のせいで、
このシリーズをどうやって収拾させようかと困り始めました。
困ったモノです。
 
上の写真はドバイ空港の一角です。
ドバイショックがどうしたこうしたと、大変だった人もいるのかもしれませんが、
ドバイ空港はまだまだ拡張するつもりのようです。
この街はまだまだです。
経済とか金融とかはさっぱりなのですが、まだまだこの街は死んでないようです。
発着便の行き先の無数なこと、まさにハブ空港
あれが本物のハブ空港なんですよね。
アジアのハブ空港を目指しただけの関西国際空港
よくハブ空港の割には、関空の着陸料が高いとかいう話がありますが、
高くても乗客が日本にもっと着陸する需要があれば、航空会社も考えたと思うのです。
でも、実際には日本に降りる必要はかならずしも無かったのです。
なぜか?
それは、日本にちゃんと腰を据えて商売している外国人の数が少なかったということではないのでしょうか。
日本の街は外国人観光客の姿は増えても、事務所や店を構えて働いている人が増えたとは思えません。
一過性にすぎない観光客、日本経済に群がるビジネスマンだけを相手にして、
ハブ空港を目指すのはちょっと無理があったのではないでしょうか。
空港を造る以外にも、もっと根を張って商売する人も含めた街を創っていくことも大切だったのでは?
 
世界の中で、日本人の言語、文化、宗教、習慣、どれをとっても孤独な存在です。
しかし、島国に住む日本人は昔から異なる文化の受容には長けていたと思うのです。
それがどういうワケか、明治以後、ものすごく下手になっている。
開国に成功し、アジア太平洋に帝国を作ってみせた。
戦に敗れたとはいえ、経済で頂点に立ってみせた。
世界で一番平和な国で、いろんな貧困国に援助もしとる。
そういう自信とか誇りが、知らぬ間に異文化への寛容と受容の力を下げているんじゃないだろうか。
ずぶずぶと沈み行く今の日本。ほんとうに沈没しちゃったとき、それは邪魔でしかない。
こちらが寛容と受容を見せなければ、相手も寛容になるはずがない。
いまでこそジャパンマネーの効力が残っているけど、もしその力の根源を失った時、
日本人は異国の土地で、今まで通りにやっていけるだろうかと、ドバイの街と空港を見て思ったクマでした。