都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

ラマダン狂想曲

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いくつかの情報では、今年のラマダンは8月10日頃かららしいとは知っていたが、
どうやら明日の11日からのスタートとなっているようだ。
なんで「頃」で、なんで事前予想から1日ずれるのか。
みんな、おおよそこの日からということは知っているのに。
詳しいルールを知らないので、なんとも言えないのだが、アフガニスタンでは政府からアナウンスがないと、
正式にラマダン開始決定とはならなかった。
前日のうちから、アナウンスがあることもなく、08年は当日の午前中にアナウンスがあった。
ジャララバードの事務所は、NGOとはいえ、やっていることは土建業なので、物事の段取りは重要である。
まず、勤務時間の変更を連絡。
昼食時間がなくなるので、その分仕事は早じまいとなる。
事務所はともかく、現場で勤務時間の変更は大問題となる。
飯抜き・水抜き・タバコ抜き。
食事を作るコックは、ラマダン開始数日前より、昼食を作っていいものか気になるので、
ラジオの前でイライラしながら過ごすことになる。
飯抜き・水抜き・タバコ抜き。
誰だって、イライラが溜り出す。
特に夕刻が近付くにつれて、それはピークを迎える。
ドライバーはみな運転が荒くなり、路上での怒鳴り合いが多くなる。
夕刻が近付くにつれ、夕食の準備も進む。
一方、異教徒の僕はというと、カバンの中に水筒とクッキーを忍ばせ、密かに昼食を済ませる。
こんな苦行に付き合う義理はあるかもしれないけど、忍耐はない。
宿舎に戻り、ナンを口にくわえたところを、見つかった事がある。
「オマエ、メシを食うのか」
「だって、異教徒だもん」
「オレたちゃ食えねーんだぞ」
イスラム教を強要されたことはないけど、「ラマダンすべし」だけ別扱いである。
食い物の恨みは恐ろしい。
夕刻、彼らの食事の準備は整っている。
普段より皿の数も多く、内容も少しばかりとはいえ豪華になっている。
だが、まだ食えない。
モスクから「本日の断食終了」の放送が必要なのだ。
一応、その時刻の目安は日没となっているが、早い日もあれば、遅い日もある。
「今日は早くない。まだ、明るいよ」
「いいんだ。アナウンスがあったから」
夕方のイライラはどこへ行ったのか、和やかな食事となるのだ。
翌朝、日の出の前に朝食を済ませると、再び彼らは苦行に挑む。
こんな日々がおおよそ1ヵ月続く。
今年のラマダンは八月と、暑い季節である。
UAEはとうとう、断食破りを容認したそうです。
確か、人によっては、断食できなかった日数分、あとで個人的に断食する人もいました。
真面目です。
こと、信仰に関しては彼らは大まじめです。
あの真面目さを他のところになぜ活かされないのか、よく不思議に思います。
 
(写真はラマダン終了後に振る舞われたお菓子。質素ですが年に何度かの贅沢です。07年10月に撮影)