都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

第三話 良心はどう受け取られるか

昨日は、彼の地で軟弱な日本人が良心を揺さぶられる光景を書いてみた。
一昨日は、かつて住んだ町の事例をあげ、被災地に押し寄せる良心について疑念を示してみた。
今日は、彼の地で日本の「良心」はどう受け取られるか書いてみる。
 
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写真はジャララバードの南にある難民キャンプ内での井戸掘削の様子。
これから書く場所は、ここから車で10分くらいの西へ行ったところだったと思う。
難民キャンプだったが、その頃はまだできて間もない難民キャンプで、住人もまだまばらだった。
例によって水源はキャンプ内になく、水汲みはキャンプが立地する丘陵を下っていく必要があった。
当然、行きは下りで楽だが、帰り水が入った重い容器を持って坂を登らなければならない。
例に洩れず、水汲みは子供の仕事である。
それは、それで、軟弱な日本人の良心を揺さぶる光景でした。
そんなキャンプに井戸を掘削することが決まり、
掘削場所を選定するという井戸担当に着いて行ったことがありました。
さて、車に乗ってやって来た我々をキャンプの住民はどう迎えたでしょうか?
①涙を流して歓迎した
②すがるように助けを求めた
③ハゲタカにように群がり、井戸を要求した
答えは③番。
我々を取り囲み、誰もが「俺の家に近い場所に掘れ」と、我先に要求しました。
①とか②もあるのかもしれません、尋ねた先で食事をふるまわれたという話も聞かないワケではありませんが、
そういうのは、案外とドラマや映画、公共広告機構のCMの中の方が多いかもしれません。
困りきった貧しいアフガン人を、日本人が助けているというありがちで、とかく喧伝されがちな構図は、
かの大英帝国を追い払い、あのソビエトを叩きだし、今や合衆国を撤退に追い込もうという、
誇り高きアフガン人たちへの侮辱のように思います。(アフガン以外でも同様。貧困国を舐めてますよ)
彼らは困っているという顔を一つも見せず、「さあ俺の家の前に掘れ」とみんなで好き勝手言い出します。
容易に収拾は着きません。
困っているのは、弱い立場にあるのはキャンプの人ではないのか。
果たしてそうでしょうか。
確かに水には困っています。
ですが、彼らは何も日本のNGOにお願いする必要はありません。
NGOならアフガンには山のように存在します。
井戸掘削をしているNGOは他にもたくさんあるでしょう。
納得がいかなければ、他のNGOに頼めばいいのです。
こういう視点で見れば我々の方が弱い立場だったかもしれません。(現地にいた時、自分に欠落していた視点)
キャンプの人にしてみれば、日本からの良心だの善意だのは二の次、三の次です。
彼らは今より楽に水が得られればいいんですから。
水路にしてもそうなのです。
PRTが地元住民を買収しようとしている云々の話は、
後発の企業がライバル会社の得意先を奪おうとしていると考えると分りやすいと思います。
水路はいまや実績、技術、信頼の点で、PRT傘下の外国企業とは比較になりません。
たぶん、PRTとしては札束という資金力に頼らなければ、
このニングラハル州北部の牙城を崩せないと考えたのでしょう。
ですが、もしPRTの方が実績も技術も上であり、
地元住民がどちらに付くか迷っているという時は、どうなるでしょうか。
彼らの卑怯な資金力に対抗できるのは、日本人という点くらいのモノです。
そういう時こそ、「我々の事業は日本人の良心や善意で集まったお金を元にしているんだ」ということが、
多少なりとも生きてい来るかもしれません。
日本からの良心のおかげで、現場は「アメリカの野郎なんかとは違う」と、自信を持って言い切れるのです。
話を井戸に戻しましょう。
キャンプの人のいろんな言い分を全部を聞いてあげたいところですが、
井戸事業で使える機材も人でも限りがあります。
ホイホイとみんなのリクエストにOKなどできるはずがありません。
効率よく動けるように掘削場所を決め、段取りを組み、それを元に住民から妥協を得て、掘削開始。
井戸担当でもあり、事務所の事務長でもあったその人は、その点で右に出る人はおりません。
とくに仕事の早さと、それを支える効率よく動ける段取りの組み方は、僕に欠落したモノでした。
次回に続きます。