学校歴史博物館を出て、進路は東へ。
鴨川を渡り、東山警察署の前を通って、六波羅蜜寺へ。(上の写真)
平安時代の終わりには、この辺を平清盛とかがウロウロしていた訳です。
鎌倉時代には六波羅探題もこのあたりにあったはず。
そう考えると、ここは京都の武家の根拠地だった訳です。
京都の地理が頭に描ける人は、わかると思うのですが、
鴨川を越えた東山区は平安京の外。
鳥辺野と呼ばれる葬送地へ通じる地域です。
この話は次にしますが、そういう事情で信仰の地だったところに、
平清盛の祖父正盛が拠点を造り、鎌倉時代に至るまで続く武家のニュータウンような場所でした。
六波羅は今でも地名で残ってるようで、六原小学校とか、スーパー六原なんてのがありました。
さて六波羅蜜寺ですが、平安時代の951年に市の聖と呼ばれた空也上人が開いたお寺です。
誰だよ?と思われ方、学校の教科書に出てると思います。
杖を持って、口からなんか変なのが飛び出ててるお坊さんの像の写真を憶えてませんか。
上の写真の本堂は南北朝時代のモノだそうです。
ここは600円を支払うと、宝物館へ入れます。
少々、狭くて、暖房がないのが、ネックですが、それでも600円で国宝、重要文化財が
堪能できるというのは、かなりお得だと思います。
教科書にも出てくる平清盛坐像、さきほどの空也上人立像、仏師運慶もおられます。
教科書の小さな写真では、今まで気が付きませんでしたが、
空也上人の持ってる杖って、上部に鹿の角を付けた鹿杖(かせづえ)なんですね。
この間読んだ網野善彦『異形の王権』で鹿杖の考察がありましたが、
神の使いとされる鹿の呪力、宗教性を期待したモノで杖の他に、
鹿の皮を身につけることにも注目されておりました。
そう言えば、奈良の大峰山で一緒になった修験者の人も鹿皮を身に付けた衣装でした。
弥生時代の銅鐸にも描かれる鹿は結構奥が深そうです。
すっかり六波羅蜜寺からは逸れましたが、実は19日はとても寒くてまともに拝観できる
体調ではなかったのです。宝物館は靴を脱いで入るので、足が寒いんですよ。
そういう事で早々に退散しました。
宝物館にあった閻魔大王像に「軟弱者」と叱られてる気がしました。