まさかこのお題で続編を書いているとは。
http://blogs.yahoo.co.jp/kd12032st/archive/2009/11/10
前回は上をご覧下さい。
謎のトンネルは、もう少し暖かくなったら、ちょっと探索してみようかとも思ってます。
で、今回の謎を思い出したきっかけは、何かのテレビ番組で吉本興業東京本社が廃校を利用した建物で、
地下には戦時中の防空壕があるという話を、ちらっと見たことによります。
謎はまだまだ黒のランドセルを背負ってた頃に遡ります。
先日のhttp://blogs.yahoo.co.jp/kd12032st/archive/2010/2/10で
取り上げたニテコ池にほど近い小学校に在籍していた頃の話。
入学当初、年号がまだギリギリで昭和でした。
当時の校舎は恐ろしく古いもので、鉄筋コンクリート製とはいえ、戦前にできた建築物。
米軍空襲時の機銃掃射の痕跡を残すような建物です。
今でこそ「歴史ある建物ねえ」なんて言えますが、ランドセルを背負った子供の目には、
ただのボロイ建物でしかありません。
そのボロイ校舎で三年間を過ごします。
残りはどうなったかというと、さすがに市役所も建て替えの必要性を考えていたらしく、
全面的な建て替え工事が始まり、運動場にできたプレハブの仮設校舎で過ごしました。
さて、謎なのはその古い校舎時代のことです。
あまりの古さに七不思議とかトイレの花子さんとか、その種の怪談にぴったりだった校舎。
いろんな噂にビビらされたものですが、そんな中でも不思議だった場所。
校舎を出て、正門を抜け、左に曲がって、敷地沿いの側溝の壁面に穿たれた排水管の口。
その口を覗き込むと、排水管の先に誰かが蠢く影が見えた。
明らかにあれは人だった。何かの建物の中のような感じだった。階段みたいのも見えたのでした。
しかも、1回や2回の話じゃない。何回か見たような憶えがあります。
当然、排水管が伸びていく先にある校舎内のどこかであることが疑われるのだが、
まだまだ子供だったあの頃に知っていた範囲では、校舎に地下室はなかったのだ。
じゃあ一体、排水管の先はどこで、誰が蠢いていたんだという事になる。
防空壕?じゃあ蠢く影はなんだったのよ。余計に怖いわ。
何かの影が偶然にも人が動くように見えたとしても、排水管の先はどこだったのだろうか?
という訳で、震災記念碑公園に行ったついでに問題の母校に行ってみた。
カメラを持って、小学校近くをうろつく男・・・
今のこのご時世では即時通報されそうです。
ですから、撮ったのは上の一枚だけ。
時代と言いますか、子供が落ちて怪我しそうな側溝には蓋がしてありました。
コンクリートで覆ってるし、しかもなんだよ、このきれいな歩道は。
もう完璧に謎になりました。
それにしても、きれいな校舎になったモノです。
クマが離れた頃は、まだ工事が未完だったところもあったのに。
きれい過ぎて、もはや怪談話が湧き出そうな雰囲気もない。
でも、それはそれで、あのボロイ校舎で過ごした僕らの方が、ちょっと得をしていたのかもしれません。
ランドセル背負ってた時は気付きもしませんでしたが。
(写真は、西宮市S町にて先日撮影)
追記
ちなみにこの学校のある場所は、戦国時代は越水城と呼ばれるお城がありました。
西国街道を抑える要所にあるお城です。
さして有名ではありませんが、畿内の抗争では数度にわたり攻防戦が展開されます。
当然、校舎建て替え時に発掘調査が行われたはずですので、
県立図書館でその報告書を探したことがあります。
我が母校の下から何が出てきたのか?
報告書・・・たった数ページの冊子みたいな容量です。
さしたる遺構は検出されなかったようです。う~ん残念。
いまや城の痕跡は、城ヶ堀、城山などの地名と後世に立てられた石碑だけです。