都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

遠く福島で

昨日、福島の方に当ブログの存在がばれてしまいました。
夜逃げしたい気分ですが、せっかくの機会ですので、
福島のネタはないかと思っていたら出てきました。

http://www.kahoku.co.jp/news/2009/10/20091015t65003.htm
福島県教委は14日、湯川村の桜町遺跡の発掘調査で、形状の異なる
3種類の周溝墓(しゅうこうぼ)を発見したと発表した。
弥生時代後期(2~3世紀)の遺跡から複数の形状の異なる周溝墓が
見つかる例は国内でも少ないという。
第1次調査(2004年度)では周溝墓7基すべてが四辺のある「方形」だったが、
今回は「前方後方形」や「前方後円形」も見つかった。
周溝墓の変遷を考える上で貴重な資料になるという。


何気ない記事ですが、しれっと「前方後方形」「前方後円形」と書いてある。
関西の遺跡だったら、邪馬台国なんかと絡めた賑やかな記事になると思います。

会津盆地は前期古墳の多い地域なんで、はやくからヤマト王権の影響下にあるんだ
とボンヤリと解釈してたんですが、奈良の纏向で前方後円墳の原型が造られている
同時期に、規模は小さいとはいえ東北の内陸部にこういうモノがある。
ほかに見つかった方形周溝墓と比較して、前方後円形、前方後方形に進化する
プロセスが見えてきたら、会津盆地での前方後円墳という墓制がヤマト王権とは
別ルートで発展していたという考え方もできるかも。
という感じでいろんな可能性がある発見。

個人的趣味全開です。たぶん砂漠で測量していた福島のあの人引いてますね。