炭焼き窯があった時代
宝塚市史に明治の小学校の記録が残っていた
「明治四十三年からは国定二期教科書「ハタ、タコ、コマ」時代であるが、生徒の服装は以前と変わりなく、武田尾から通うと草履は一日に二足ずつ必要であった。高等科の生徒には、帰宅して後一里の山を歩き父の炭焼きの手伝いをして、暗くなってから炭二俵を背負って帰るものもあった。」
まるで竈門炭治郎ですね
探し歩いている炭焼き窯跡はかなり谷の奥まったところにもあるので
授業終わってから山にあがって、炭2俵担いで帰るとか、
昔の人の脚力はほんとにすごいですね
炭焼き窯があったは炭治郎がいた時代