都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

古き良き時代にするには、最近過ぎる

もう20年くらい前になるのか。
まだまだ、小学生の頃。
弟のクラスに、韓国人の転校生がやってきたことがあった。
関西に多い在日の家族ではない。
父親が日本に転勤になったがゆえに、なんにも日本を知らず引っ越してきたらしい。
いずこの国も転勤族は怖いものです。
近所に朝鮮学校だってあるんだから、別に日本の学校に来なくても・・・
そんな疑問はまだまだ無知ゆえのこと。
転入先になった弟のクラス担任の先生は、かなり大変だったと思う。
たしか、小学校二年生くらいだったはず。
そこに「あいうえお」もわからない生徒が混じるのだ。
中々の苦労があったと思う。
先生は「美しい日本語」をぜひ憶えていって欲しいと考えていたらしいが、現実はシビアである。
周囲の子供からよってたかって、ガラの悪い関西弁を仕込まれたとか。
子供の世界なんて、そんなもんです。大人の思うようにはいきません。

今にして思えば、学校側は受け入れにあたり、かなり気を遣っていたような気がします。
給食の献立に、韓国料理が加わったのも、この転校生がきっかけだった。
韓流ブームなんて、まだまだ無かった頃の話です。
また転校生君の親は、反日教育を受けていたと思うのですが、
そのあたりどう考えていたのかは、わかりません。
ただ、とうの学校側はさしてそんな事を気にしてなかったような気がします。
どうやって日本の学校に馴染んでくれるか。
そればかり、心配していたように子供の目には見えました。
反日だの嫌韓だの、そんな話が大きなうねりになってなかったころ。
今の学校の場合は、受け入れとかどうやってるんでしょうか。
子供の頃の話なので、大人の事情が見えない部分がありますが、
まだ20年を過ぎるか、過ぎないかの話なのに、古き良き時代の話している感覚は、
いったいなんなのでしょう?
世論の移ろいと、それをリードする人たちは怖いものです。