都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

文化財保護とは最優先事項か?

バーミヤンの石仏が爆破されたのは、大学1年の春休み中だったと思う。
休み明けに、考古学専門のI教授が大変激怒した様子でタリバン批判を語られたことを憶えている。
助教授(当時)とは違い、温厚なI教授としては、大変珍しいことだった。
あの時、世界中で石仏保護こそが絶対的な正義だった思う。
上の記事の中で、「日本代表団」という人たちが、ものすごく無理のある理屈まで持ちだして、
説得交渉に挑んだのはその「正義」からすれば、当然の話。
当時、一応は考古学徒だったクマからすれば、その「正義」に従うのが当然なのだろうが・・・
「そんなに石仏って大事?」
と大変不埒なこと考えていた。
「石仏保護に使う予算があるなら、あの国の再建が先だろう」
当時、アフガニスタンはまだまだ遠い国の話だったが、
ソ連のアフガン侵攻からずっと内戦状態のことくらいの知識しかなかった。
「衣食住の再建が先であって、文化財保護のその次の話だろう」
開発より文化財保護を優先させるのは、日本じゃ当然の話だ。
でも、向こうはそれ以前の話だったはずだし、今もそうだろう。
仮にかつていたアフガニスタンの水路現場で、遺物が出たからといって、工事中止になっただろうか。
遺跡と水。どちらを選択?
きっと水に違いない。
遺跡は抹殺されかねん。
でも、そっちが正しい。遺跡で畑に作物はできん。
作物ができなきゃ、難民という選択肢も十分にあり得る国だ。
日本のように「我が街の文化遺産をぜひ世界遺産に」という訳でなく、
バーミヤンのように「気が付いたら国際正義が世界遺産にしていた」という状況は、
本当に正しいやり方だっただろうか。
タリバンは石仏を人質の如く使い、結局は爆破してしまった。
それは幼稚で賢くない判断だったが、僕らはその判断を「愚か」だと言える立場には絶対にない。