都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

太山寺

このブログはなにかとアフガニスタンに偏る傾向がありますが、
2011年最初の記事くらい日本的な記事を。
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神戸市西区伊川谷三身太山寺
716年に藤原宇合の建立と伝えられますが、確実な所では平安時代あたり。
明石川の支流伊川の上流にあります。
神戸といえばミナトに北野の異人館と考えがちですが、このあたりは農村な地域。
明石川流域なのになんで神戸市なんだという疑問はさて置き、
明石川流域は古くは弥生時代の玉津田中遺跡をはじめ、早くから開発の進んだ地域。
太山寺は周辺の天台宗寺院の上位に位置するお寺。
このような寺院を支えるほどの開発が進んでいたのか。
仁王像のある山門を進めば敷地内には塔頭まで・・・。
恥ずかしながら名前だけ知ってましたが、
明石駅からバスで30分程度の場所にこんな立派な寺院があるとは知りませんでした。
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最初の写真は鎌倉時代に建てられた本堂。
国宝です。
三重塔は時代が下り江戸時代のもの。
他、枯山水の庭園で国の名勝である安養院庭園などもあるようです(庭園は見学期間があるようです)
南北朝時代には支院41、末寺が8、末社を6も有し、宗徒は南朝方として活躍しました。
そう日本の宗教界も昔は武装して、京の朝廷に物言う時代があったのです。
タリバンもびっくりですね。→違います。 
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あれ?寺院の中になぜ鳥居が?
これは奥の院の稲荷社。
そうです。日本は神仏習合の国です。
ほんらい日本では仏教と神道の境目などあってないようなもの。→言い過ぎ?
クリスマスでもなんでもよその宗教を受容してしまうのは、日本人の昔からの伝統。
ゆえに権現さまなどというややこしい信仰まで生まれたのではないですか。
明治初期の廃仏毀釈の嵐をどうやって掻い潜ったのか。
こういうものが残っているだけで、昔の人の苦労が垣間見えます。
建物は新しいのでわりと最近に新築したのでしょうか。
神仏習合は今も残ってます。
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奥の院は本堂のある場所から川を渡り、大きな石も転がる川のきわにあります。
山の斜面に面したそこはそんな自然そのものを宗教的な環境に仕立て上げてます。
誰が考えたのか知りませんが、うまく設計したものです。
写真のような地蔵様らしいモノがいくつもあって、正直な感想としては奥の院は不気味です。
この先には磨崖仏もあるらしいのですが、事前の予習が足らず見忘れました。
さて、なにも初詣に来たワケではありません。
ましてや、最近流行のパワースポット巡りでもありません。
追儺式を見に来たのですよ。
ですので、次回は追儺式。