都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

謎の独立記念日 その2

前回に引き続き、「アフガンと日本の独立記念日は同じ8月19日である」という
アフガニスタンで、広く知られている迷信を真面目に追究したいと思います。

アフガニスタンでは日本が昔、アメリカ、イギリス、ロシアと戦争をしたことは広く知られています。
どの国も、アフガニスタンに侵入して来た国ですので、そういう意味でも親日度は高い訳です。
では、太平洋戦争や日露戦争で8月19日になにか起こったのでしょうか?
真珠湾攻撃は1941年12月8日ですので、これは除外。
サンフランシスコ講和条約吉田茂が署名したのは、1951年9月8日ですので、これは除外。

可能性として、1945年8月15日の終戦の日は、日にちも近いので考えられます。
日露戦争では1905年8月9日より、ポーツマス講和会議が始まります。
日付と事の重大性から、これらが迷信の元になった可能性はあります。
さらに時代を遡り、幕末期にまで行けば8月18日の政変という事件もあります。
これは旧暦の8月18日のことですが、長州が京都から追われ、その後、池田屋事件禁門の変
第1次長州征伐へ繋がっていく事件です。
おそらく、これらのいずれかが、人づてに伝わっていくうちに「独立記念日は同じ日だ」になった
のではないでしょうか。

日本とアフガニスタンの外交関係は1930年の修好条約の締結、
1934年の在カブール公使館の設置にまで遡ります。
このころには、当時の政府から技師や柔道家も派遣され、留学生が来日するなど交流も見られます。
さらにこの少し前、1920年代にはアフガンを訪問する日本人の記録もあり、
日本人がアフガンに駐在したのは、このころが始まりのようです。
迷信の発生起源は、少なくともこれ以降であると思われます。
戦前の記録には、インド経由で日本製品がアフガン国内に多量に出回るなど
親日的な環境にあり、戦後には大学の調査団、技術者、ジャーナリスト、旅行者が
アフガニスタンを訪れるのですが、この迷信に関しての記録は管見では見当たりません。

独立記念日の迷信の発生は意外に、新しいのではないか。
今のところ、そう結論しておきます。

なおこの文を書くにあたり、下記のサイトを参考にさせて頂きました。
アフガン情報
http://homepage3.nifty.com/afghan/
膨大な情報量に驚きました。
有難うございました。