前回に引き続き、「アフガンと日本の独立記念日は同じ8月19日である」という
アフガニスタンで、広く知られている迷信を真面目に追究したいと思います。
アフガニスタンでは日本が昔、アメリカ、イギリス、ロシアと戦争をしたことは広く知られています。
どの国も、アフガニスタンに侵入して来た国ですので、そういう意味でも親日度は高い訳です。
では、太平洋戦争や日露戦争で8月19日になにか起こったのでしょうか?
真珠湾攻撃は1941年12月8日ですので、これは除外。
サンフランシスコ講和条約に吉田茂が署名したのは、1951年9月8日ですので、これは除外。
可能性として、1945年8月15日の終戦の日は、日にちも近いので考えられます。
日露戦争では1905年8月9日より、ポーツマス講和会議が始まります。
日付と事の重大性から、これらが迷信の元になった可能性はあります。
さらに時代を遡り、幕末期にまで行けば8月18日の政変という事件もあります。
これは旧暦の8月18日のことですが、長州が京都から追われ、その後、池田屋事件、禁門の変、
第1次長州征伐へ繋がっていく事件です。
おそらく、これらのいずれかが、人づてに伝わっていくうちに「独立記念日は同じ日だ」になった
のではないでしょうか。
日本とアフガニスタンの外交関係は1930年の修好条約の締結、
1934年の在カブール公使館の設置にまで遡ります。
このころには、当時の政府から技師や柔道家も派遣され、留学生が来日するなど交流も見られます。
さらにこの少し前、1920年代にはアフガンを訪問する日本人の記録もあり、
日本人がアフガンに駐在したのは、このころが始まりのようです。
迷信の発生起源は、少なくともこれ以降であると思われます。
戦前の記録には、インド経由で日本製品がアフガン国内に多量に出回るなど
親日的な環境にあり、戦後には大学の調査団、技術者、ジャーナリスト、旅行者が
アフガニスタンを訪れるのですが、この迷信に関しての記録は管見では見当たりません。
独立記念日の迷信の発生は意外に、新しいのではないか。
今のところ、そう結論しておきます。
なおこの文を書くにあたり、下記のサイトを参考にさせて頂きました。
アフガン情報
http://homepage3.nifty.com/afghan/
膨大な情報量に驚きました。
有難うございました。