都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

戦前にアフガンに住み込んだ日本人

前回、前々回とアフガニスタン独立記念日に纏わる迷信を探ってみたが、
その過程で、どうしても気になる人物がいたのでさらに探ってみた。

その名を高垣信造という。(信蔵とするものもあり)
1933年の野村俊吉著「秘められし国アフガニスタン」で登場する。
http://homepage3.nifty.com/afghan/asahi/m60a/1933.html
この時点で、高垣信造氏はアフガン陸軍省の役人として、
士官学校と警察で柔道を教えているとある。
いったい、どこをどう伝って政府職員として雇用されたのか?
在カブール日本公使館ができるのは、この翌年のことです。

ネット上を探ってみると、なんと玄洋社頭山満にまで行きついた。
1929年、インド独立運動家ラス・ビバリ・ボースからインドの学校のために、
道家を派遣してほしいという要請を受け、頭山満講道館五段の高垣信造を推薦した。
http://www.toyamamitsuru.jp/toyamamitsuru/index.html
高垣氏はこの流れで日本を離れたと考えられるが、アフガニスタンへ入国した経緯がわからない。
なお下記のサイトでは、高垣氏とその生徒の写真が掲載されている。
http://homepage3.nifty.com/afghan/topics/japanese2.html

おそらく日本人として初めて、アフガニスタン政府職員となった人であると思う。
しかも、家族も一緒だったというから、なお驚きです。
我々の祖父、曾祖父以上の世代の人たちはやっぱり侮れません。