都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

垣間見た「貧」の風景①ある交差点

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その交差点は、宿舎から事務所への通勤ルートにあった。
街を貫く幹線道路、東はペシャワール、西はカブールに繋がり、車と人、リキシャーで常に混乱する。

そんな道路の分離帯に陣取った数人の少年たちが、信号で止まった車に何事か叫び続ける。
車に乗った人たちは、幾ばくかのお金を彼らに渡す。
よくあるモスク建設の募金集めの風景だ。
彼らは、実は3番目だった。

2番目はシワシワのお婆さんだった。ブルカも必要ない歳なんだろう。
彼女は信号で止まった車へ、ゆっくりと歩いていき、凄まじい剣幕で物乞いを始める。
関西のおばちゃんでも、あそこまで勢いのある人はいない。
正直言って怖いです、お婆さん。
カツアゲされてる気分です。
危ないのに車が動き出すその瞬間まで、彼女は車列の中を歩き回った。

1番目、最初に交差点で物乞いをしていたのは、小さな少女だった。
信号で止まった車の窓を叩いて回り、お金を集めて回っていた。
一台でも多くの車から獲得するためなんだろう。
少女の動きは無駄が無く、とてもキビキビとしていた。
少女も危ないのに車が動き出す瞬間まで、元気よく車列の中を走り回った。

少女が消えたのは、お婆ちゃんが追い出したからなのか。
お婆ちゃんが消えたのは、募金集めに追い払われたからなのか。
そのあたりのことは、よくわからない。
でも、この風景は信号機の設置に始まった。
いや、それまでも近くにいたのかもしれない。
走る車からは見えない場所に。

信号機ができれば、赤信号で一斉に車は停まる。
事故も減り、交通の混乱も収まる。
交通システムは近代化された。
信号機を計画した人たちは、完成写真も添えて、報告書を書いたのだろうか。
だが、信号機を設置してから滲み出てきたのは、あの国の「貧」の風景だった。

(写真で印を付けてる場所が、この話の現場になります)