都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

垣間見た「貧」の風景②バザールの中で

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そこに行けば、必ず彼らはやってくる。
なぜなら、そこに用事がある者は、必ず懐にお金を持っているからだ。
だから、彼らはいつもその通りを駆け回る。
そこは両替業者の立ち並ぶ街の通り。
ターゲットの背後から近づき、服のスソを引張って、相手が振り向くと無言で掌を差し出す。
彼らは物乞いだ。女の子や男の子、ブルカをかぶった女性である場合が多い。
時に、乳児を抱えて「この子ために」と必死でアピールしてくる女の子もいる。
最初は、邪魔くさいので無視していたのだが、
回を重ねるうちに、その瞳の眼差しに耐え切れず、
両替業者に用事があるときは、細かいお金をいくらか準備して行った。

物乞いはバザールなど、人の集まる場所では必ず見かけた。
女性のための職場が皆無に近いアフガニスタンでは、
一家の稼ぎ手を亡くせば物乞いをせざるを得ないらしい。
お金を渡した少女が、ブルカを被った集団へ戻っていく姿も幾度か見かけた。
一家総出で物乞いをしているのだろうか。
アフガニスタンでは、政府にお金が無いから支援できない。だから、富裕な者が助けるんだ」
事務所で最も富裕な家の出身のアフガン人スタッフが、
物乞いのお婆ちゃんに迷うことなくお金を渡して、そう言った事があった。
喜捨の精神はアフガニスタンでは当然らしい。
物乞いしている側も、お金持ちからは貰えて当然と思っている節がある。
「日本では、どうやって支援するんだ?」
そう聞かれて、恥ずかしさで言葉に詰まった。

あの国で「貧しい」という事は、日本の格差社会なんかとはレベルの違う域にある。
いくらなんでも、日本で子供が物乞いしているのはない・・・はずだ。
でも、貧しくても日本には無いものがある。
喜捨の精神。
そんなの、日本にあったかしら?
日本で浮浪者を見かけたとき、僕はどんな顔していただろう。

(写真はジャララバードのバザールがある一帯)