都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

その二人、KAMIKAZEを知る

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この間に引き続き、ラジオが発端になった話です。
事務所で同じ部屋だったアフガン人の同僚二人。
二人は大卒ですし、クマよりはるかに上手に英語も操ります。
ラジオで知らない言葉が出てくると、机の中から辞書を取り出し、必ず調べます。
仕事で使うパソコンの中にも、英語―パシュトゥ語辞書のソフトまで入ってます。

ある日、ラジオに流れてきたその単語、日本人のクマは知っている単語ですので、
ラジオを翻訳できなくても、ちゃんと聞きとれました。
アフガニスタンでも、この言葉を使うんだな~と複雑な思いでいると、
二人が辞書を取り出し、調べだします。
カミカゼを調べてるの?」
「そうだよ」
「suicide plane・・・japan!」
「いや、二人ともオレの顔をそんなに見つめるな」
「日本人がこんなことを?」
「第2次世界大戦中のことだ。60年も前の話だ」
 なおも見つめる二人。
「クマさんもできるのか?」
「できるか。おれたちの爺さんたちの話だよ。今の日本人は無理だって」
あまり納得した感じを見せず、その話はここで終わりました。
なんだか、二人がこれまで心の中にあった日本人のイメージが壊れたような気がします。
なにせsuicide planeではアルカイダとさして変わりません。
その違い、特攻隊に纏わるいろんな背景の説明を、大戦を知らないアフガン人に
どう説明すれば良かったのでしょう?
またそんな過去があるのに、なんで日本はアメリカと仲良しなんだという疑問もあったかもしれません。
時々、そんな問いが投げつけれらましたが、クマはいつもこう答えてました。
「アフガンに米軍がいるように、日本にもいるんだ。戦争に負けてからずっといるんだ。
 東京の近くには横田、厚木、横須賀と米軍の基地がたくさんあるんだ。逆らえんよ」
一応、みなさんこれで納得してくれました。
まあ、あまり堂々と胸張って言えることではありませんが。 
(写真は、事務所で朝礼を待つ様子 08年6月撮影)