都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

宝塚市西谷地区

古宝山周辺の炭焼き窯跡①

宝塚市西谷地区の玉瀬と切畑の境に広がる古宝山。 関西電力の送電線が通るので送電線の巡視路に沿って歩いていた時、 道の傍らにあったのが炭焼き窯跡だった。 山の中を歩きまわってまだ1年だが、見つけた炭焼き窯跡は16か所。 兵庫CS地図を見てると山林…

ギンリョウソウ

ギンリョウソウと言うそうです。 不思議な感じがする植物。

オオミズアオ

夜の武田尾駅辺りに虫取り網持った人たちを見かけるようになりました。 こういうのをお目当てに来てるんでしょうか? オオミズアオさんです。 2年前の4月に帰宅しようとしたら 駐輪場に置いた自転車で休憩されてました。 美しいモスラです。 羽化して間も…

月との帰り道

武田尾駅からの帰り道 徒歩の帰宅は月灯りに守られながら

春になりました

桜もツツジもきれいな季節 ツツジは山林のなかにもあるのが西谷地区

さそり考

宝塚市には佐曽利と書いて「さそり」と読む地名がある。 現代の住所表示としては「上佐曽利」「下佐曽利」となっている。 上と下に村切され分かれたのは江戸時代の頃と言われる。 佐曽利を苗字とした佐曽利氏という土豪の本拠地であり、 多田院御家人として…

おたまじゃくし

先日の近所の湿地 卵塊からおたまじゃくしが産まれてました。 果たしてどれだけが生き残るのか 県の天然記念物である丸山湿原のように 広い湿原ではない。 使われなくなった小さなため池から 水がわずかに漏れて出来た水たまり 水が枯れなければよいが 周り…

山の中に井戸?

山の中に急に現れる道の跡 道に沿って測量の杭もあったり そしてこれは井戸?

溜め池

坂を上がるときれいな池 Google マップは景勝地と記載してるが、 景勝地ではない 溜め池である 地域のための池である 谷をせき止め 溜め池を作る。 日本で古くからある溜め池築造技術だ。 この池も明治の地図にはあるので 改修や修繕を重ねながら近代以前よ…

春を待つたまご②

先日、たまごがあった場所とは別の場所 使われなくなったため池から水がしみ出てる場所。もとは水田だったとか。 ここにもたまごがありました。 アカガエル類の卵塊です。

宙吊り

この状態で見つけてすでに1年以上経過してる。 いつになったら落ちるのか。 人の手が入らない山林は頭上注意である。

春を待つたまご

両生類乱塊調査というものに参加しました。 水中のたまごを見つけるのは難しい。

長尾山トンネル

長尾山トンネル 西谷地区の車での玄関口のひとつ

ひこばえ

桜かしら? 人が入らなくなった里山の谷のなかで ひときわ異彩を放つ

廃観音堂

大原野の観音堂 無住のお堂だが地域で管理している様子 大原野のこの辺りは 三方を川に囲まれた要害の地であり 三田や猪名川へ抜ける要所でもある この狭い地域、なぜか寺院が集まる

春の日差し②

下佐曽利の公民館にて 今は公民館だが おそらく寺院跡だろうか

中世の土豪もみた景色

下佐曽利の琴平神社の前辺りからの風景 この辺りは戦国期にかけてまで 佐曽利氏という土豪が活躍した地域です。

忘れられた祠

県道脇にあった祠 夏になれば 草木に覆われて埋もれていくだろう

春の日差し

今日は春のよいに暖かい 下佐曽利の琴平神社 海運の神様が山の中に? なんでやろ?

CS地図はすごい

最近、ひなたGISというものを知った。 地図好きは永遠に暇つぶせるものだ。 兵庫県は1mメッシュと50cmメッシュの航空レーザー測量のマップを 公開しており、ひなたGISにも背景地図として採用されている。 これはすごいのだ。 パソコンで、スマホで、山…

発電所

太陽光発電の看板を見て現場を覗いてみた。 盛り土だな。

お寺と神社

境野の普門寺と天満神社。 当地では珍しく天神様を祀っている。 当地はお寺と神社が同じ敷地にあることが多い。神仏習合が当たり前だった頃の名残りだろう。明治の廃仏毀釈の影響はあったはずだが、どうやって誤魔化したのかしら?

炭焼き窯が残る谷

名も伝わらぬ谷のなかで残る炭焼き窯跡 いつ頃のものかわからぬが 里山が里山だった頃、 いまは誰も通らぬこの谷で山の仕事を している人たちがいたのだろう。 この山が「送電線の鉄塔がある山」ではなく 「人の生活を支える里山」 「山の仕事ができる里山」…

大日堂

小学校の近くにある 大原野の大日堂 大量の埋納銭が出土した堂坂遺跡は 至近距離にある

雪の日

埋もれる飛びだし坊や

雪の西谷の夜

雪の夜は いつもより明るく 静かできれい

炭焼き窯があった時代

炭焼き窯があった時代 宝塚市史に明治の小学校の記録が残っていた 「明治四十三年からは国定二期教科書「ハタ、タコ、コマ」時代であるが、生徒の服装は以前と変わりなく、武田尾から通うと草履は一日に二足ずつ必要であった。高等科の生徒には、帰宅して後…

笹を刈る

笹を刈っていました 刈り払い機の扱いはまだまだ難しいです ポツポツと刈り残しがある

小さな道から

冬の西谷地区 大原野~玉瀬の道は県道より 小さな農道の方が好き

正月の風景

玉瀬にある素盞嗚神社 正月の門松としめ縄の飾りは 玉瀬に伝わる形とのこと