金魚が誰なのか。
何しにいったのか。
それらを、ペラペラ話す立場にありませんので、その辺はご理解のほどを。
また、まだ自前のPCが故障状態ですので、画像掲載は修理終了後、整理をしてからになります。
まず、成田から最初に降りたのはドバイでした。
ドバイは初めてでした。
中東の金持ちが寄り集まった都市という、なんとも偏ったイメージしかなかったのですが、
たしかにそのとおりではあります。
でも、金持ちって言葉を僕はあまり理解してませんでしたね。
真のお金持ちは労働などしないみたいです。
街には、中国・東南アジア・インド・パキスタンなどなど、いろんな国から労働者が行き交っています。
アラブな人は空港でしか、見なかったような気がするくらいでした。
そういうわけで、懐かしい辺境の町で聞いた言葉を話している人も大勢いる訳です。
どんな場所を歩いたのだと言われそうだな。
この都市の姿は宿泊先のホテルに現れていました。
ホテルの外観は、中国系。
でも、今の経営者はカナダ人。
フロントの前には、アフリカ料理店があり、フロントには黒人のお姉さんがいる。
地下には中華料理店があり、フロントの前を行き交う人は、中国人だったり、アフリカ系だったり、
どこかよくわからない人だったりと多彩です。
これだけの人種を受け入れているこの街の寛容さのほうが気になります。
真のお金持ちであるアラブな人から差別を受けているとも聞かないわけではないですが、
彼らに商売や出稼ぎの機会を与えているこの都市はなんなのだろうと、思うわけです。
銭があるという余裕からくる寛容さなのか、それともなにか別種のものなのか。
そもそも、イスラムというと、とかく宗教で定められた何かしらという印象があり、
とくにその辺が厳格なアフガンしか知らないクマとしては、
酒が普通に置いてあったり、豚肉が販売されていたりする光景は奇妙なモノでした。
己が国を単一民族国家と信じて疑わない人たちは、
こんな都市の風景が日本で展開されることは断固反対するでしょうが、
街の活力みたいなものは、日本のシャッター商店街とは天と地の開きがあるよな~と、
思わずにはいられないのです。
日本の街の活力はどこに行ってしまったんでしょうか?
そんな疑問が頭をチラチラしながら歩いたのですが、この街は熱いのです。
思考を封殺するくらいに熱い。
しかも、湿度もけっこうある。
日よけ代わりに、本場モノのサーダル(アフガンスカーフ)を使っていたのですが、
これが誤解の元にもなりました。
この中東シリーズ、まだまだ続きます。