都鄙往還雑考

宝塚の山の中と街をいったりきたり 2022年12月よりブログタイトルを変更しています。それ以前の記事は順次整理していきます。

あの表紙の写真の件

「この女の写真を撮ったのも、あんたか」
「俺が撮れと命令した」
「日系二世はそんな残酷な仕事もするのか。え」
 たらいで洗濯している女は露出の調整で若干暗く写っているが、切羽詰まった気配や働かされている感じはない。一緒に捕虜になった子供の衣服を洗濯してやっているのがはっきりと分かる。たらいの泡に向けられた顔はわずかにうつむいていた。
「よくこの女は写真なんか承知したよな。え。どう言って脅したんだよ。言ってみろよアメ公。返答によっ ちゃ殴り倒してやる」
「自分から進んで被写体になってくれたんだ」
「いい加減なこと言うじゃないか。誰がこんな写真を撮られたがる。え」
「彼女はサイパンに家族がいる。逃げる途中ではぐれたんだ」
「どう脅したのかと俺は訊いているんだよ」
「その女は、自分がこうして捕虜になっていることを伝えたかったんだよ。まだ逃げているはずの家族 
 が投降を決心してくれるように、努めて柔らかい表情を作ったんだ」
 伍長の怒り以前に、純粋に理解して欲しいと感じたからか、自分でも驚くほど静かな声が出た。
「他に手段がなく、恥を忍んで被写体になってくれた」
 
上の太字部分は、古処誠二の小説「七月七日」から抜粋してきたもの。
太平洋戦争時のサイパンを舞台に、日系二世の米軍語学兵ショーティの物語。
抜粋したシーンは、投降勧告用のビラに掲載された写真を巡る日本兵との会話。
なんでこんな話を抜き出しかというと、先日のタイム誌の表紙に掲載されたアフガン人女性のニュースを見て、
「七月七日」のこの話を思い出したからだ。
表紙に載ったあの女性。
写真に撮られるという事。
タイム誌の表紙に掲載されるという事。
それらをちゃんと理解したうえで、被写体になることを承諾したのでしょうか。
そこが、この件の一番の問題だと思います。
タイム誌は今アメリカが撤退したらこういうことになると、表現したくてあの写真を掲載したようですが、
もうああなると過激派なんかより、タイム誌編集部の神経の方を疑いたくなります。